一話 片言の日本語だった。

2014年、僕は関東で起業した。しかしその炎のような勢いは資本金と共に一瞬で燃え尽きた。想像以上に厳しい現実が牙を剥いていた。

何とか過去の人脈を頼り自宅のある浜松市で不動産仲介を再開した。運転資金はギリギリ、毎月が綱渡りのような生活。失敗したら終わり、プレッシャーという名前の重石を抱えながら崖っぷちの日々を生きていた。

そんな僕の店に来たのは数人のベトナム人留学生。片言の日本語だった。

「ワタシ、トモダチ、オオイ、トモダチ、ショウカイスル、オカネ、クダサイ」。

その一言に、私は一瞬固まった。お金がないのか。

しかし苦しい経営状況の中乗れる話ではなかった。「いいよ、いらない」とだけ答えた。「アッ、ソウ」ベトナム語でぶつぶつ話ながら店を出ていった。

不思議と嫌な感じはしなかったが、留学生の単価は安く紹介料も必要だ。こんな儲からない仕事に手を出せば、今度こそ会社は潰れる。それが現実だ。

だがその中の一人、シウという女性だけは心に残った。以前友達の部屋探しで店にきた留学生。身長は160㎝ほどあり愛想が良く大きな声が印象だった。数日後また彼女が店を訪れた。真剣なその表情に押され、僕は「分かったよ、ただ日本語が分かる人を連れてきて」と伝えた。

翌日、シウは日本語が話せるというお姉さんを連れてきた。

「コンニチハ、クエム、デス」

日本人慣れしている。話を続けると日本語力が高いことに気付き、近くのカフェで話すことにした。そして今の留学生たちの現状が見えてきた。

ベトナムでは今、日本留学がブームになっているという。日本語学校は増え、生徒も増え、留学生はもっと増えるだろうという話だった。しかしその先には苦しい現実が隠れていた。

留学資金は自分で稼がないといけない。学費も寮費もアルバイトから支払っている。昼は学校、夜はアルバイト、睡眠時間はほとんどない。夢を抱いて日本にきたのに、生活の苦しさから途中で帰国する人も多いという。現状を知り「大変だな」と思わず呟いた。

しかし今はとにかく会社を立て直したい。彼女たちのために何かをする余裕はどこにもない。そう言い聞かせたはずなのに、その日から胸の中がざわつき出した。

ふと、昔のアメリカ留学を思い出した。慣れない土地で不安に押しつぶされそうだった僕を救ってくれたのは、現地の人たち。今、彼女たちにとって現地の人は誰だ、僕だ。

その瞬間、胸の奥に、灯がともった。

つづく。

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